おはようございます。
間もなく、あの時になります。
3年前の事を、風化させない為にも、
少し、振り返ろうと思います。
2011年、3月11日、14時46分。
当時の私は、
丁度、ゆるりん気功と言う名を命名し、
改めてブログを、始めたばかりでした。
3ヶ月限定で、
マッサージの学校に通っていました。
渋谷区にある、おしゃれな土地の、
あるビルの6Fだったと思います。
丁度、授業中に起きました。
建物が激しくゆれ、
そのまま倒れるかと思うくらいでした。
すぐさま外に出ました。
電柱が大きく揺れていましたが、
特にけが人や、事故は周りを見てもありませんでした。
「さすがに電車は混むだろうね」と仲間と話し、
渋谷駅に行くと、街中が人で溢れかえっていました。
久しぶりの、大きな地震だと思っていました。
歩いて帰るしか無いって事で、
渋谷から、住まいである中野へ。
その途中、原宿あたりで、
多くの人が立ち止まって、TVを見ていました。
友人と私は、
その時、初めて事の大きさに気がついたのです。
TVを見て、一言も言葉を発せず、
多くの方が、その場で立ち止まっていました。
新宿に近づいた時に、
何も食べてなかったので、
蕎麦屋に入りました。
隣りに座った年配の方が、
何となく話しかけて来たのですが、
実は気功師さんで、
中国のある凄腕気功師さんの、ご友人でもあったのです。
こんな大変な時に、この出会いは、
何か私と気功の、不思議な縁を感じました。
それからまた歩き、中野の自宅に友人を泊めました。
私には、その時で15年の付き合いになる、
親友がいて、福島に住んでいます。
27歳の時に、東京から自転車で、
その友人宅を伺った事もあります。
毎年年賀状を、未だに送ってくれて、
1月2日に、私が電話をする。
そんな仲です。
連絡がつくはずもなく、
私は、本当に気が気でなかったです。
その後、随分と時間が経ってから、
無事がわかりました。
その頃には、被害の全貌を知っていたので、
嬉しい半面、多くの方の事を思うと、
辛くもありました。
もし、亡くなられた人の中に、
友人がいたら、、、。
私は、私が社会に対して出来る事を、
精一杯やるだけです。
みんなで、みんなが、パワースポットになる!
ゆるりん気功の、このキャッチコピーは、
こうして産まれました。
多くの人の犠牲があって、
今の私達が、生きていられている。
私が毎朝、お線香をあげるのも、
そんな気持ちを忘れないためでもあります。
あれから、3年。
あらためて、気を引き締めてまいります。
ご冥福をお祈りします。
ゆるりん気功
宮沢法義
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